市村学術賞

光格子時計の提案・実証による新たな原子時計手法の確立

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第42回(平成21年度) 市村学術賞 特別賞

東京大学大学院工学系研究科

<受賞者>
教授 香取秀俊さん

天文学者から物理学者の管理に移った時計

 日常何気なく使っている「1秒」という単位。それはいつ、どう決められた時間の長さなのだろうか…。
 天体の運行観測が大航海時代を開いた頃からつい55年前まで、時計は天文学者の管理下にあった。その中で秒は1799年、フランスのメートル法で「太陽が昨日と同じ位置にくる時間の1/86,400(24×60×60)」、1956年には国際度量衡委員会で「地球が太陽を1周する時間の1/31,556,925.9747」と、地球の自転や公転を基に定義されてきた。
 それが、1950年代からの原子時計の開発と精度向上により1967年、国際度量衡委員会は「セシウム原子が吸収・放射するマイクロ波が9,192,631,770回振動するのにかかる時間」と定義。誤差3000万年に1秒、世界の約300台のセシウム原子時計が刻む時の平均を世界標準時と決めた。この時点で、時計の管理は天文学者から物理学者の手に移ったのである。
 この流れを、「時計研究は現代科学・工学の根幹で、最も精密な極限計測と認識されるようになりました。そこでは『計測の精度を極めるなら測定の物理量を時間、周波数の測定に置き換えよ』が鉄則。さらに時計の精度が向上すれば、みんなで時間を共有・確認しあう道具としての役割が終わるかもしれません」と香取さんは説明する。
次の「秒の定義」を決める最有力候補となった光格子時計を発明・提案し、自ら実証した香取さん。「人のやらないことをやる。真似することは私としては敗北」と言う
次の「秒の定義」を決める最有力候補となった光格子時計を発明・提案し、自ら実証した香取さん。
「人のやらないことをやる。真似することは私としては敗北」と言う

現状では「計測ツール」に追いつけない

 「20世紀末に光周波数コムという時間計測ツールが発明され、19桁までの周波数測定が可能になっています。しかし国際原子時として世界中で共有できる1秒の定義の精度は、15桁でしか実現されていません。これは物理学の測定には不具合です。そのため近年、この測定精度に見合う時間標準の開発に拍車がかかっているのです」。
 装置内の真空中に打ち上げた約100万個のセシウム原子が、1秒の滞空時間に発する振動数のピーク値を決定しているセシウム原子時計は、1967年に10桁の値で世界の1秒を決め、現在15桁まで精度を上げている。しかし、計測対象が100万個という原子の集団であることから、原子同士の衝突が、一歩進めた極限計測への不確かさを拭い切れていない。
 そこで、次世代の秒の定義を決める候補として台頭してきたのが「単一イオン光時計」。1個のイオン(電荷を帯びた原子)を電気的作用がゼロになるよう設計した空間に捕獲し、光を吸収・放出する振動数を計測する。周波数がマイクロ波の約10万倍高い光を用いるために、セシウム原子時計の15桁の精度は原理的にはわずか1秒で実現できる。しかし、たった1個のイオンで計測するため、18桁となると半月もの測定時間が必要で、時計としては大きな弱点を持つ。

"魔法"で捕えた原子100万個を同時に計測

 「1個の原子を100万回繰り返し測定する代わりに、100万個を1回で計測すれば、数秒で18桁測定が可能となるはず」。この発想から2001年に発明・提案したのがストロンチウム原子による「光格子時計」。
 光格子時計は、チャンバー内に上下、左右、前後の6方向からのレーザー光で、原子100万個を1個ずつ閉じ込める微細な領域を持つ「光格子」を形成。そこに光を照射し、原子が吸収・放出する光の周波数を時計に利用する。ポイントは、「ここからすべてが始まった」という"魔法波長"と名付けた特定波長の発見だった。魔法波長に合わせた光格子では、本来、原子が吸収・放出するはずの光の振動数を変えることなく原子を捕獲できる。これによって原子間相互作用を排除し、束縛した個々の原子の同時計測に成功。数秒で単一イオン光時計100万台と等価の測定を可能とした。
 当初15桁の振動数(429,228,004,229,877回)を測定した光格子時計は現在16桁の精度に達しており、18桁に到達すれば実に50京秒、およそ137億年の宇宙年齢で誤差1秒の時計計測を実現する。
光格子時計。正方形の枠の向こうにあるのがメインチャンバーで、この中に6方向からのレーザー光による光格子が形成される(上)ここからレーザー光を受けた100万個のストロンチウム原子が発する光が見える(中)
光格子時計。正方形の枠の向こうにあるのがメインチャンバーで、
この中に6方向からのレーザー光による光格子が形成される(上)
ここからレーザー光を受けた100万個のストロンチウム原子が発する光が見える(中)

100万個のストロンチウム原子1つずつを束縛する光格子を形成する魔法波長のレーザー光を作るシステム
100万個のストロンチウム原子1つずつを束縛する光格子を形成する魔法波長のレーザー光を作るシステム

物理学全体の変革につながるかもしれない

 2005〜2006年の産業技術総合研究所との共同実験、2006年の米・仏の研究所の追試実験により、世界3極で周波数計測の一致を実証したこの「純国産次世代時間標準技術」は、2006年9月、国際度量衡委員会から、セシウム原子時計の次の1秒を定義する有力候補である「秒の二次表現」の一つに採択された。提案からわずか5年での快挙だ。今、世界中の研究拠点を巻き込む激しい光格子時計開発競争が展開されている。
 香取さんは冒頭「時計の時間を共有・確認しあう道具としての役割が終わる」と語ったが、では18桁の時間計測は何をもたらすのだろうか。
 「地上わずか1pの高低差で生じる一般相対論的時間の進み方の違いを測定した重力探索や、複数地点の時計の進み方を測定して得られる重力の変動の情報は、新たな地震予測等の手段となるかもしれません。そして何より、値が変化しないとして物理学の発展を促してきた物理定数の恒常性の検証が可能になります。物理学の統一理論構築のヒントを実験的に与えるものとして、大変注目されています」。
 そして香取さんは強調する。「光格子時計は、これまで欧米主導に甘んじてきた時間標準で、日本が主導権を握るチャンスを拓いたとも言えます。これまで長らく西欧社会が文化としての科学を築いてきたように、こうした基礎科学への本質的な貢献は、日本が科学技術分野の世界で、半世紀先にも尊重され続けるためにもぜひ必要なことです」。
研究グループのスタッフとさらなる精度向上に取り組む香取さん(左)
研究グループのスタッフとさらなる精度向上に取り組む香取さん(左)
(取材日 平成22年4月20日 東京都文京区・東京大学)
プロフィール
 1991年東京大学工学部教務職員、のち同助手を経て1994年独・マックスプランク量子光学研究所客員研究員。1999年東京大学工学部総合試験所助教授。2005年から科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業研究代表者。2010年5月から東京大学大学院工学系研究科教授。専門は量子エレクトロニクス。市村学術賞表彰では9年ぶり3件目の特別賞受賞者となる。