市村賞受賞者訪問

医療高分子の開発と生体親和性発現機構の解明

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第51回(平成30年度)市村賞 市村学術賞 功績賞

九州大学 先導物質化学研究所
教授 田中 賢さん

生体分子から人工材料へ、医療機器の進歩

 心筋梗塞の治療では、医師が患者の心臓を一旦止め、血管のバイパス手術を行う。その際、心臓と肺の代わりをするのが人工心肺である。非常に優れた医療機器だが、ネックもある。素材が汎用材料で作られているため、患者の血液が接触すると異物反応が起こり、血栓ができて正常に機能しなくなるリスクだ。田中さん達はこの解決のため、機器の骨格を汎用のエンプラや金属で組み立て、血液が接触する表面には合成高分子(PMEA:poly(2-methoxyethyl acrylate))で処理をし、血栓形成を抑制した。機器内面をコーティングすることで、生体に親和性があるよう、言わば擬装をする。さかのぼれば1990年代には、豚や牛から摂取した生体分子を人工臓器部材の表面処理に使用していた。生体分子は、滅菌やロット管理の煩雑さもあるが、人工材料より生体親和性が高く、メーカーは難しい生産プロセスを経てでもこうした態勢を堅持していた。ところが2000年代に入り、狂牛病の問題が発生。動物由来の生体分子がヒトに対して悪影響を及ぼす実例を目の当たりにし、特に血液の凝固を防ぐ目的で普及していた「ヘパリン」が使用できなくなった。反面、人工材料は高品質化し、生体分子と同等以上の性能を持つ素材が次々と製品化されていく。

人工心肺:内部の中空糸は高分子素材。PMEAコーティングで血栓ができにくく、長期間使える。
人工心肺:内部の中空糸は高分子素材。PMEAコーティングで血栓ができにくく、長期間使える。

異物認識性を左右する「接触界面」

 田中さんのチームは、PMEAを活用して人工心肺を完成。2000年に製品として上市を成し遂げ、その後、世界シェアNo.1を維持している。その一方、本来は異物の人工材料が、なぜ高い生体親和性や良好なデータを示すのか、長年分からないままだった。「メカニズムを現場の医師に話せないようでは、現実的な売上拡大に繋がらない。また、根本的な仕組みの解明が、より良い材料の設計や、他の産業分野へ波及する技術を生むのでは」、と考えた田中さんは、さらに生体親和性発現機構の研究を進めた。医療機器の部材表面に患者の血液が接触したとき、臨床評価によるデータでは、素材の異物性が高いほど、血中の細胞の抵抗力が活性化する。数値が悪ければ製品化もできないが、“なぜ材料によって異物認識性に差が出るのか”がポイントである。注目したのは、部材の「接触界面」の状況だった。これまでの分析からは、まず小さなタンパク質が吸着し、その後、細胞が接着することは分かっていた。しかし、それだけではメカニズムの完全な解明には至らず、要因は別にあると考えた。そして、機器が血液にさらされる状況を時系列で追ってみて、思い当たったのが「水」だった。

材料-生体成分の接触界面における水分子の役割
材料-生体成分の接触界面における水分子の役割
合成高分子が生体に接触すると水分子が表面に吸着。接触界面には、高分子に強く作用する不凍水、弱く作用する自由水、そして中間水が形成される。この中間水が生体親和性の発現に大きく関係する。

世界初の「中間水コンセプト」を確立

 医療機器は滅菌して出荷され、病院への搬入当初は乾燥状態だが、現場で使われる際には患者の生体や血液が接触してウェットになる。最初に起こるイベントは水分子の吸着で、次いでタンパク質や細胞が接着する。機器の部材表面と生体が接触した際、形成される水の状態は3種類。強く水素結合した不凍水、逆に弱く結合した自由水、さらにその2種類の間の性質を示す中間水だ。そこで、製品化できたものとそうでない材料群に分け、実使用に近い条件下で生成される水の分類を試みた。すると、生体親和性が高い材料ほど、共通して多くの中間水が形成されることが判明した。臨床試験でも、「製品化レベルの人工素材には中間水ができる」「生物を構成する生体分子には中間水が多く生成される」ことが裏付けされた。こうして、生体親和性の発現に大きな影響を与え、新規材料のスクリーニングに貢献する世界初の「中間水コンセプト」が確立された。

がんの治療・予防にも、新技術へふくらむ期待

 医療機器の接触面において目指した“血栓ができない”ことは、言い換えれば細胞を接着させないことだ。この理論を踏まえれば、同じ患者の細胞ならどれでも接着するはずがない。ところが、中間水コントロールの一環としてがん細胞を培養したところ、思わぬ恩恵が生まれた。適切な中間水の領域において、血球細胞の接着は抑制されたまま、がん細胞(CTC:血中循環腫瘍細胞)だけが選択的に接着したのだ。がん細胞の脅威は、増殖の早さと、CTCによる転移だ。その証左に、がん患者の90%が転移がんで亡くなっている。中間水量の違いでCTCの接着を制御でき、特定抗原の発現に依存することなくCTCが分離できれば、ハイスループットかつ選択的にダメージレスで培養できるCTC回収技術を確立できる。まず、従来より迅速・正確・低コストで、がん診断のリキッドバイオプシー(血液の生検)が可能になる。患者から採収したCTCの大量培養で、患者個々に適した抗がん剤による「個別化治療」ができ、「予防医療の高度化」への期待も専門家から寄せられている。「私たちの技術は、先に製品化があり、そこからサイエンスを作り、コアの中間水コンセプトに繋がりました。今後も世界初の理論を徹底的に突き進めることで、医療以外の環境・エネルギーやエレクトロニクス分野に、この技術が活用される時代が来ることを考えています」と、田中さんは将来を見据える。九州大学をはじめ、各医療機関、各専門領域との協力が進んでおり、新技術の実用化へ向けて、期待はふくらむ。

がん細胞の分離時の技術ポイント
がん細胞の分離時の技術ポイント
従来の生物学や物理的な方法では、サイズや比重での分離が困難、コストがかかるなどの問題点があった。中間水での分離は、抗体やサイズで分けず、ダメージレスにがん細胞の採取が可能。

田中賢教授(中央)と研究チームのみなさん
田中賢教授(中央)と研究チームのみなさん

九州大学 先導物質化学研究所(福岡市)
九州大学 先導物質化学研究所(福岡市)


(取材日 平成31年4月17日 福岡県・九州大学 先導物質化学研究所)
<プロフィール>
 1996年、北海道大学大学院修了(修士)。同年、テルモ株式会社・研究開発センター研究員。高機能人工心肺、カテーテルなどの開発・製造・販売に携わる。2001年、科学技術振興機構 さきがけ「組織化と機能」領域研究者を兼任し、合成分子とバイオ分子の相互作用に関する研究を行う。03年、博士(理学)。以降、複数の大学・研究所、政府機関などで医療製品開発を行う。15年から九州大学 先導物質化学研究所 ソフトマテリアル部門 ソフトマテリアル学際化学分野 教授。