植物研究助成

海藻類の遺伝的多様性に富んだ伊豆半島を手始めに、日本の海洋植物の保全・啓蒙活動に努めたい

『伊豆半島における海洋植物の多様性調査』
<第26回(平成29年度)助成>

代表研究者
お茶の水女子大学 基幹研究院
自然科学系
准教授
嶌田 智さん

国立大学法人 お茶の水女子大学 基幹研究院 自然科学系に所属。理学部生物学科および大学院人間文化創成科学研究科 ライフサイエンス専攻 生命科学領域で准教授を務める。理学博士。研究分野は生物多様性、分類、保全生態学。北海道大学で修士号・博士号を取得し、2000年に北海道大学 実験生物センター・助手、2008年からお茶の水女子大学・准教授。児童のころ長野県の自然の中で学び、生物学のおもしろさに目覚め、この道を志すきっかけともなった。テニスをこよなく愛する、二女の父。日本藻類学会評議委員、日本植物学会員、環境省・希少野生動植物種保存推進委員。
   嶌田 智さん
伊豆半島は海洋植物の宝庫
 

豊富な海洋植物の遺伝的多様性を探る

----伊豆半島の海洋植物の多様性調査を始められたきっかけをお教えください。
伊豆半島には約450種の海洋植物が生育しているとされ、1つの半島でこれほど多種類が存在する例は、世界でも他にはありません。日本各地で有名な海洋植物の採集場所はいくつかありますが、伊豆半島は下田白浜、土肥八木沢、石廊崎など海洋植物の特性が多様性に富んでいて、海洋植物研究者にとっては聖地的な思い入れがあります。各地を巡ってきた私自身、下田白浜での調査経験は少なかったためちょっとした高揚感もあり、いつかじっくり腰を据えて調査したいと思っていました。
実は、形態変異の大きい海洋植物の種同定は非常に難しく、DNA鑑定をすると名前が付かない新種の可能性のあるものも多く見つかります。文献調査をしても、伊豆半島産の海洋植物に関するDNAデータでの正確な種多様性解析は行われていません。そこで、駿河湾、相模湾、黒潮など、異なる海洋環境に囲まれて棲息する海洋植物が、どこから来てどこへ行くのか、遺伝的多様性はどうなっているかなど、当時始めたばかりの系統地理学的な興味も湧いてきました。そんな時に、この「植物研究助成」を知りました。これまでの研究で得られたDNA鑑定技術や系統地理学的解析を用いれば、種や遺伝的な多様性が正確に理解でき、海洋生態学的研究の基盤構築など、伊豆半島の海洋植物と環境を守り、育成する研究へと発展できるのではと思いました。

海洋植物の採集風景。干潮時のみのチャンス   豊饒な伊豆の海

伊豆半島の個体群解析手法が、世界的なDNA解析システムに

----研究結果から、伊豆の海洋植物にはどのような特徴があると言えますか。
種の多様性では、名前がつけられたものが127種でした。伊東、下田、土肥の3カ所で数回、しかも潮間帯のみの調査だったため450種には到底及ばなかったものの、一般的に生育種は採集できたと思います。下田が96種(固有種55)、伊東65種(固有種21)、土肥20種(固有種6)となり、下田の半数以上が固有種という特徴が見てとれます。グループごとに細かく固有率を見ると、1カ所に豊富な海洋植物種が生育しているわけではなく、伊豆の多様な環境に順応した多種多様な海洋植物が、半島全体で分布していることが分かりました。
また、系統地理学的な解析結果を褐藻ヒジキで見ると、遺伝的多様性の指標uHeは下田が全国で第3位と非常に高い一方、伊東が最下位となるなど対照的な結果でした。西側の土肥は、黒潮と駿河湾東部を北上する海流が流れ、南の下田は御前崎で西から東に流れる海流と伊東方面から下田に流れる海流がぶつかっています。問題の伊東は、相模湾西部を北から南に流れる海流のみで、この違いが種多様性や固有性に影響を及ぼしていることが示唆されました。ただし、褐藻ウミトラノオ、紅藻マクサでは結果が異なり、下田ウミトラノオは遺伝的多様性が低く、土肥マクサは高くなりました。種によって異なるわけですが、もう少し調査種を増やさないと確実なことは言えません。

----新種特定の可能性と、本研究の藻類学における意義についてお聞かせください。
新種と思えるものは多数あります。ただし、現在生育している種を採集・比較することは可能ですが、1800年代から知られている種との違いを明確に示すのは難しく、新種と認められて学術英語論文に記載されるのは至難の技です。海洋植物の研究者は少ないこともあり、種多様性の理解も、DNA鑑定の技術もまだまだ発展途上です。しかし、もともと日本は世界屈指の海洋植物数を誇っており、分類学の藻類研究レベルは世界一だと自負しています。今回の研究助成の集大成として「海の観察ガイド」も出版できましたし、本研究の特定地域の種および個体群の多様性を解析する手法は、世界各地での応用が可能です。まずはこの成果を元に、伊豆半島の多様性の全貌を明らかにして、将来的にはすべての個体をDNA鑑定できるシステムの構築が目標です。

伊豆半島東岸に群生する緑藻ミル。西岸ではコブシミルが多い

左は紅藻「イカノアシ」の従来種、右が今回発見の種

葉緑体コードrbcL geneでの系統解析と,核コードrITS regionでの系統解析。今回発見の未記載種(緑)と典型的なイカノアシ(赤)はそれぞれ単系統となり遺伝的に異なっていた

海中林の保全によって海洋植物の啓蒙につなげたい

----今後の研究の方向性や、先生ご自身の夢をお聞かせください。
今回の調査の成果「海の観察 ガイド 伊豆半島 海の植物編 」。海産被子植物2種、緑藻22種、褐藻29種、紅藻54種の合計107種を記載系統地理学に関しては、最終的に“海の中の森林”と呼ばれる「海中林」の健全性診断システムを考えています。ストレス診断や遺伝的多様性解析で、目視では分からない海中林のストレス状況や多様性を把握できます。そこに、分布変遷史や生育特性、耐性評価の情報を追加して、「健全性診断」と「精度の高い分布予測」を実現し、海中林の保全活動を促進したく思います。海洋植物はマイナーな生物群ですが、生態系においては、餌や産卵場所として海洋生物の多様性保持に寄与しています。また、海域の水質浄化や波の抑制など、海洋環境の安定化にも欠かせません。様々な方面から、保全の啓蒙活動に力を注いで、将来的にはパンダやゾウ、サクラといった人気者と同じように、“好きな海洋植物”が家族で話題にのぼるような存在になってくれたらうれしいです。


お茶の水女子大学 本部本館(文京区大塚)

 (取材日 平成30年5月15日 東京都・お茶の水女子大学)