市村賞受賞者訪問

水素社会の実現を加速する高圧水素用高強度ステンレス鋼の開発

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第51回(平成30年度)市村賞 市村地球環境産業賞 貢献賞

日本製鉄株式会社
技術開発本部 鉄鋼研究所 鋼管研究部 主幹研究員  中村  潤 さん
技術開発本部 鉄鋼研究所 鋼管研究部 主幹研究員  小薄 孝裕 さん
技術開発本部 鉄鋼研究所 鋼管研究部 主幹研究員  浄 佳奈 さん

水素社会の中核となる新鋼材開発

 日本製鉄が開発した『HRX19』は耐水素脆性と強靱性、そして溶接を可能にした画期的な高強度ステンレス鋼だ。来る水素社会インフラの中核である水素ステーションや、高圧水素を搭載する燃料電池車への活用が広がっている。従来、水素ステーションに使用できる鋼材はステンレス鋼『SUS316L』だけだったが、強度が低く、水素圧向上に対応するには配管を肉厚にし、機械継手で接続していた。その結果、敷地や設備が大きくなり、建設費が増加。加えて機械継手には水素漏れの懸念があるため、常に保守費用を見込まねばならず、ステーション普及の障害になっていた。新たな高強度ステンレス鋼の研究スタートは、2003年にさかのぼる。将来的な水素エネルギーの需要を見越し、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)とも協力しながら、まずは高圧水素用評価技術の確立を目指した。06年、既存材料の性能を把握し、高圧水素環境下に耐えうる材料メカニズムの基盤を構築。08年、高強度かつ溶接可能な材料分野にフォーカスした成分検討が開始される。そして2010年には、『HRX19』の開発が完了。その後、14年から15年にかけ、材質と溶接の認可を相次いで受け、時を同じくして初受注も達成した。

「HRX19」鋼管(左)と「SUS 316L」鋼管(右)の比較
「HRX19」鋼管(左)と
「SUS 316L」鋼管(右)の比較
「SUS316L」機械継手(上)と「HRX19」溶接継手(下)の比較
「SUS316L」機械継手(上)と
「HRX19」溶接継手(下)の比較

高圧水素のニーズに迅速に応えた開発体制

 『HRX19』が画期的な鋼材となった技術ポイントは、大きく二つある。ひとつは、耐水素脆性と高強度の両立だ。水素分子は極小なので金属に侵入しやすく、金属結合を弱める「水素脆化」が起きる。そのため、鉄の厚肉化を避けながら、強度と耐水素脆性を達成するのは至難だ。水素圧が低ければ、既存材料でも対応方法はある。しかし、車の航続距離を伸ばすためには、車載の水素量やステーションの水素圧の上昇は必須。研究開始時点で、将来の燃料電池車および水素インフラ基地の整備を担う鋼材開発を目指していたため、それが実現できる高強度、かつ高い耐水素脆性が求められた。事実、2008年頃には、燃料電池車の周辺用途として、これまで30MPa前後だった水素圧を70〜85MPaにする要望が聞かれ始めた。これほど高圧のニーズは、他の製品やLNGなどのガスでは前例がない。開発陣は未だかつてない挑戦に対し、高強度化手法として窒素を含んだ「固溶強化」に着目。鉄結晶の転位構造と水素脆化のメカニズムを解き明かした。調べた結果、耐水素脆性がある従来の『SUS316L』では転位構造がセル化しているが、高窒素なステンレス鋼ではプラナー化しており、脆化原因となる知見を得た。そこで、転位構造をセル化するCr(クロム)やMn(マンガン)などを増量し、高圧水素に耐えつつも目標強度800MPaを両立させた。開発チームが短期間で要求性能に応えられたのは、かねてより水素環境下の材料評価や機構解明を精査していたことが大きく寄与した。

『HRX19』鋼管の加工バリエーションのサンプル。とてもコンパクトに加工できる。
『HRX19』鋼管の加工バリエーションのサンプル。とてもコンパクトに加工できる。

耐水素脆化性と強度化に溶接性を付加

 二つ目に挙げられるのは、新ステレンス鋼の溶接施工が可能であることだ。しかし、当初は難しい問題があった。『HRX19』は多くの窒素を溶かし込んで耐水素脆性を上げるが、溶接する際に窒素が抜け出し、強度低下および水素脆化を招くフェライト相の生成が確認された。この解決策として、アーク溶接時のシールドガスに適量の窒素を添加し、溶接の入熱を調整して、窒素離脱を抑制。その最適条件を見出すことで、溶接部分も本管と同じ高強度と耐水素脆性を両立できる、鋼管の自動溶接を可能にした。そして『HRX19』では、ユーザごとに異なる溶接条件にも対応するため、基本となるデータベースを構築し、溶接部の品質を確保。鉄を知り尽くすプロならではの細やかな気づかいが、新材料への不安を払拭して製品化を後押しした。

高圧水素用鋼材が社会で果たす役割

 『HRX19』が持つ800MPaという数値は、オーステナイト系ステンレスの中では世界最高の強度だ。溶接性も含めた性能はこの鋼材が唯一で、多用途の展開が見込まれる。従来の水素ステーションでは、1基あたり機械継手が数百個あまり使われていたが、『HRX19』では多くを溶接できるため、継手は数十個に減少する。継手は1個あたり数kgもあり、重さ・容積・施工の手間・メンテナンス労力・建設コストなど、低減される要件は数多い。これら以外にも、高圧水素にまつわる試験手法の確立、材料認可取得や法整備手順への貢献など、高圧水素用鋼材として果たした功績には大きいものがある。
 「2013年の販売以来、国内の水素ステーションの半数以上に使用されています。今後、海外にも展開し、地球温暖化対策の一環として水素社会到来の一端を担いたいですね」と、抱負を語る開発チームのみなさんの顔は、新たな意欲に満ちていた。

耐水素脆性に及ぼすNi当量の影響
耐水素脆性に及ぼすNi当量の影響
高窒素ステンレス鋼は鉄結晶の転位構造がプラナー化するため水素脆化が生じた。転位構造をセル化させて高強度(SUS316Lの1.6倍)と耐水素脆性の両立に成功。

取材に参加した「HRX19」開発チームと製造・販売の方々
取材に参加した「HRX19」開発チームと製造・販売の方々

研究開発チームのキーマン、中村さん
研究開発チームのキーマン、中村さん
日本製鉄 技術開発本部 尼崎研究開発センター(尼崎市扶桑町)
日本製鉄 技術開発本部 尼崎研究開発センター(尼崎市扶桑町)


(取材日 平成31年4月26日 兵庫県・日本製鉄 技術開発本部 鉄鋼研究所)
日本製鉄株式会社 概要
 2019年4月1日、新日鐵住金から日本製鉄に商号変更。粗鋼生産量で国内最大手、世界第3位を誇る。技術開発本部は、鉄鋼研究所、プロセス研究所、先端技術研究所、製鉄所の支援を行う技術研究部の4部門に大別される。鉄鋼研究所の鋼管研究部は、主にエネルギー分野など過酷な環境下で使用される高付加価値な鋼管材料開発や鋼管接続技術を研究開発している。従業員数24,822人、売上高3兆2,666億86百万円(いずれも単独、2018年3月期)。